3日間家から出ることができなかった。
結局仕事にも行けず、出勤で外出しなかったので病院にも行けず、薬も貰えていない。
毎月、病院に行って薬を貰い飲み続けないと耐えられないくらい辛いのに、病院に行くエネルギーがないジレンマをどうにかできないものかと思う。
だいたい薬が尽きる前に行けないので、薬が尽きそうになってきたときは数日前から半分に割って飲んだりしてなんとか伸ばし伸ばし生きている。
今回はついに尽きてしまって、昔に別の病院で出してもらった別の薬を引っ張り出してきた。
副作用がちょっと怖い。
こんな生活をしていて、病状が良くなる様子もなく、仕事にも穴を空けて、でも全てを話すことはできないからそれなりに嘘をついて見栄を張って日々を乗り越えたことにしている。
今の仕事は私が本当にやりたかったことで、組織や人間関係などクソなところもたくさんあるけれど、仕事として自分がやっていきたいのはこれしかない。言い換えれば後がない。
学生の頃の私や数年前の私が今この職についていることを知ったら本当に驚くだろう。それくらい今ここにいることは幸運だった。
だから、どれだけ体調が辛くても職場がキツくても辞める気はないし休職もしたくない。潰れずに日々をやっていくしかない。
こうやって、ずっと心のどこかで望んでいた職に就くことを実現させたのに全然ちゃんとできていない自分が本当に嫌だ。
明日は研究室時代お世話になった先輩が仕事で職場に来る。
私がこの職場にいることを知ったとき、「ぱらりららぁ~と目の前が虹色に輝く思い」だったとメールをくれた。
メールのやりとりは初めてだったので、こんな風にメールを書く方だったのかと少し笑ってしまい、そして、こんな無条件の祝福をくれたことに本当に感謝し、申し訳なくなった。
ちょうどメールのやり取りをしていた恩師からも返信が来て、同じように私の職務を応援してくれた。
こんな人たちがいるのに、生活すらまともにできず実は仕事に行けていない自分が本当に嫌だ。
こうやって病院に通い、薬に頼って日々を乗り越えるようになってから1年が経つ。
完全に潰れてしまった去年の9月のことを、最近よく思い出してしまう。
あのような日が再び来ないように日々を引き延ばしているだけだ。
完治する可能性は低い。一生こんな日を過ごすと思うと本当に絶望してしまう。
もし、初めて潰れて動けなくなった1年前のあの時、私を抱きしめてくれる人がいたなら。
何も言わなくていい。私の苦痛を分かってくれなくていい。救おうとなんてしなくていい。
でもただ誰かに抱きしめてほしかった。私が今苦しんでいることを許して、受け入れて、側にいて寄り添ってほしかった。
そして具体的にそうしてほしかった人が私にはいた。
私が苦しんでいるときに、見ないふりをして先にさっさと寝ていた背中を思い出す。
抱きしめることも寄り添ってくれることもなかった、何も言わなかった背中を思い出す。
手を伸ばしても幻想の中ですら振り返ることもこちらに手を伸ばしてくれることもない。
この人が私の苦しみに寄り添ってくれることなどあり得なかったと私は分かっているからだ。
お互い人生のパートナーになることまで考えた人だった。でももう信頼感などかけらもなくなった。
もし、あのときずっと一緒にいたいと思っていた人が、たった一度でも寄り添って抱きしめていてくれたなら。
今の私の苦痛は少しでも違ったかもしれない。どうしてもそう思う。
べつにあの人に今もこだわっているわけではない。1番辛かったあのとき、信頼している誰かに抱きしめてほしかっただけだ。そしてそれはあの人だった。
自分が苦しい時は散々思う通りにしていたのに、横で苦しんでいるパートナーに一度も寄り添わなかったあの人間をずっと許さない。
もし私に、信頼している人に抱きしめてもらった記憶があったなら、今はもう少しましな日々を送っていただろう。
でもそれはもう望めない。
だから、黒猫のクッションを買って、苦しいときはこの子を抱きしめている。
大好きな人に抱きしめてもらう感覚は得られないが、愛おしいものを抱きしめる感覚は私にも残されていた。
私は猫が好きで、2匹の猫を飼って、それぞれうみ、すずめと名付けるのが夢だった。
でも自分の生活すらままならない私にそれは無理だろう。
だから黒猫に一緒にいてもらっている。
この子は私が苦しい時に、愛おしいものを抱きしめる安心感をくれる。
もし私が5年以内くらいに死んだらこの子を棺に入れてほしい。
私が苦しい時にずっと一緒にいてくれたのはこの子なのだ。